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 地元亀岡の出雲神社で見かけた光景。良い感じの岩だな…と近づいてみると…。
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 穴のくぼみに銭が挟まっている…。地面をみると、小銭が散らばっている…なんとなく、拾って岩にのせたのだが、これって社会的に正しい行為なのだろうか?拾った銭は、賽銭箱に入れに行くのが、一番正しい気がしたのだけど、それってやって良いのか?

 銭がはさまった岩を注目してみる。
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 岩から零れ落ちた銭は、地面に落ちている。岩の「良い感じのところ」に銭が色々と挟まっている。神社の人は回収しないのだろうか?昨日、今日の銭じゃない。

 例えば、この銭を私が集めて、自分のモノにしたら犯罪だろう。集めて賽銭箱に入れたら…褒められるのだろうか?怒られるのだろうか?

 金額は確認してないけど、集めたら駄菓子くらい買えそうだし、国が違えば一人分のワクチンとかのお金になるかも知れない。賽銭箱に入れないで、岩に挟むという行為は、経済の中から金銭をロストさせる大罪…と思ったのだが…。賽銭箱に入れたら、神社のために使われる訳で…。

 そんなことを考えながらその場を離れた。そしたら…。
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 今度は、手洗い場にいくと、龍に5円玉、水の近くに1円玉があった。気持ちは分かるけど、水に金属が溶け出すのだが…。銭なんてものは、人間社会の穢れの象徴みたいなモノだと思うが、それを、霊験あるところに捧げると、高次元の物質になり、それを行った人も高次元に…錯覚だ。金(かね)は金(かね)、銭は銭だ。賽銭箱に入れいる事が、神社における銭の正しい使い方だ。1円、5円、10円でも、ちょっと考えて欲しい。

 例えば、もしも、岩のくぼみに1万円札とかがネジこまれている様を想像すると…すごくシュールだった。

 こういうのこそ、「人力検索」に出したらいいのだろうけど、「岩に挟まった銭、地面に散らばっている銭を拾って集めて賽銭箱に入れたら怒られるのか?」。気になるところ。

 神社の人に聞いてみるのが一番かな。でも、池に銭を投げ込む人とかもいて、そういうのは「禁止行為」にしている神社とかもあるけど…。

 こまねち。